第2回 マンガ「夜明けの図書館」に伴走した 10 年のこと(後編)

創作の現場に寄り添って生じた自身の変化

協力を続ける中で、物語を作る行為はとても孤独で、繊細で、苦しい作業であると感じました。作家さんは常に、書いた作品への反応をとても気にされています。その一方で、やはり作品は作家さんのモノであり、周囲が口を出しすぎることは作品性を損なうことになります。ですから、どの段階でどんなアドバイスをするのか、そのバランスが重要でした。

『ましろ日』というブラインドマラソンを描いたマンガで伴走ランナーという存在を知ったとき、これだ、と思いました。私は、図書館現場を知るものとして様々な情報提供をし、「それでは噓になってしまう」と思った時だけ軌道修正の助言をし、けれど基本的には「その方向で大丈夫だ」と声をかけて、創作チームに寄り添い、伴走を続けました。

例えば第 16 話でディスレクシアの少年を描くことになり、埜納さんは国立国会図書館関西館で行われた神山忠さんの研修に参加されました。そこでディスレクシアにはマルチメディア DAISY が有効だと知り、マンガで取り上げようとしたのですが、公共図書館ではまだそういう使われ方は一般的ではなかったことから躊躇されたのです。

そこで、私はこうお伝えしました。「知らないこと、やっていなかったことをいきなりできたように書くことは、きっと嘘になります。けれど、自分たちができていないことを知った上で最初の一歩を踏み出す姿を描くことは、ディスレクシアに対する日本の図書館サービスの夜明けを描くことにほかなりません。新しい明日の図書館への道を、指し示してください。それが、想像力の翼を持った「お話」の役割だと思います」。この回を乗り越えて、私たちは明日の図書館の姿まで想像して描くようになりました。

創作現場との 10 年の付き合いは、私の司書としての在り方にも影響を及ぼしました。最近は、図書館の中ではなく図書館の外で司書として活動することが増えました。サービス対象に近い現場で行う情報サービスに魅力を感じています。エンベディッド・ライブラリアン1)という在り方を知ったとき、自分のやっていることがとても近しい気がしました。また、私は最近、支援という言葉を「寄り添う」「伴走する」と言い換えるよう気を付けているのですが、協力者の活動を経たからこその、司書としての姿勢の変化だったと思います。

大学の授業で活用するということ

連載は終わってしまいましたが、最近、この作品が大学の授業で活きるのではないかと考えています。2020 年から白百合女子大学で情報サービス論の講師をしているのですが、説明の後で該当するサービスの回を読んでもらうと、マンガでサービスをイメージすることができて学生の理解が深まるのです。協力者で良かったと思うのは、授業の中で「どこが実話で、どこが創作だったか」を説明することができることです。例えば、第 26 話ではこんな解説をしました。 

この回もとても苦労した回です。東日本大震災があった時から、いつか災害をテーマに…という思いが私にも編集さんにもあったのですが、埜納さんはずっと躊躇されていました。最終回が見えたところで、震災ではなく、災害なら…ということで取り上げることになりました。このお話は、創作です。埜納さん自身に災害の経験はありません。ただ、個人的な辛い思い出を災害のトラウマと重ね合わせて、歯を食いしばって想像し、編集者との二人三脚でこの話を作られました。私は監修者として、災害地名の調べ方、郷土資料での地名変遷の追い方など、レファレンス的な助言をしていたのですが、あるシーンを巡って編集部とこんなやりとりがありました。

たまたま九州に行った折、熊本地震で大きな被害を受けた益城町図書館の見学をしました。案内してくれた司書の方の身を削るようなお話の中で最も印象的だったのは、震災後、福島で被災した知人と連絡が取れたとき、「私には何もしてあげられない。自分で立ち上がるしかない」と真摯に言われた、と話されたことでした。被災者同士の会話として、真に迫るものでした。

このシーンは当初のプロットでは、言いすぎたひなこを館長が「図書館には災害の記憶を風化させない役割もある。そのための協力を請おうとしただけで、ひなこが悪いわけじゃない」と励ます展開になっていました。違和感を感じた私は、益城町での経験を編集部にお伝えしました。「館長が図書館の大義を理由にひなこを励ますのは違うと思いました。焦る気持ちはわかりますが、急かすのは…いつまでも癒えない傷、というのはあるものですから。益城町の方が福島の方に言われたように、周囲は、自ら立ち上がるのを待つしかないんです。だから館長には、焦ってはいけません、待ちましょうと、ひなこを諫めて欲しかった」。それを埜納さんと編集さんが受け止めてくださって、今のシーン(図 4)になったのです。

図4-1 第26話「雨の中の光明」(第6巻所収)
図4-2 第26話「雨の中の光明」(第6巻所収)

マンガはあくまでも創作物ですから、学生の学びを確実なものとするためのファクトチェックは重要です。取り上げた事象の虚実、そのサービスのレアさ加減、物語のベースになった実体験を語ることで、図書館のリアルを毎回お伝えすることができました。また、コロナ禍で混乱が続いた大学で、このほっこりしたマンガを読む授業が学生の癒しともなっていたという感想もあり、そんな効果もあったのかと驚きました。そして、市民に寄り添う司書ひなこの姿勢が、学生に寄り添う私の授業の姿勢と重なったという感想を読んだとき、そうか、大学の授業も私にとっては司書としての情報提供の現場だったのか、と気づくことができました。授業準備はとても大変ですが、学ぶことも多く、やってよかったと思っています。

なぜ最後のレファレンスが読書相談だったか

最終話のお題は「一番難しいレファレンスってなんですか?」で、私の答えは読書相談でした。その理由は、この問いには答えがないからです。一般的なレファンスは求めることがあって、そこへの最適解(最速で最良)を全力で考えればいい。けれどこの問いは、何を求めているかを探求するところから始まります。ましてカウンターで会う相手のほとんどは一期一会で、どんな人か知らない。ランガナタンの図書館学の五法則の「いずれの人にもすべてその人の本を」と「いずれの本にもすべてその読者を」の二つを結びつけるものでもあって、読書相談は究極のレファレンスと言える…と考えたのです。

同僚の大野さんへのおススメ本を探すくだりは、私の実体験とも重なっています。高校図書館勤務の時に、「俺にお勧めの本を選んでよ」と言ってきた先生がいました。最初はどんな人か、何が好きかもわからなくて、あれこれ考えて持って行っても「まあまあかな」という反応しか得られませんでした。でも毎回「次は?」と聞かれるので、私も諦めず色々持って行きました。ある時持っていった小説に、はじめて「これは面白かった。こういう、ぎりぎりと人を追い込むようなねちねちとした感じはいいね」と言われました。その先生にそれまで持っていた印象と違うので意外でした。

そんな一年を経て、学校を離れることになった私は、とある作家の伝記を「最後のお勧め本」として選びました。とある研修で、先生が実は「栄光と挫折」を味わう人生を送ったと聞いていたのですが、その作家も元学校の先生で、その人生は栄光と挫折の連続だったと知って重なると思い、他にもちょっとした理由があって、この本しかないという直感で選びました。

この一件で、一人の人のために本を選ぶということは、その人のことを考え続け、その人を知り続けるということでもあるな、と考えました。またある生徒に、私が生徒の話を「うんうんと頷きながら聞いてくれ、私のために色々な可能性を考えて本を選んでくれるその事が嬉しかった」と言われました。何を選ぶかではなく、どう選ぶかが大事なのだと思いました。それは結局相手との間で「信頼関係」「人間関係」を結ぶということなのではないでしょうか。

これからの情報収集は、AI、インターネット検索、図書館の資料、それぞれの特性を活かすことが重要になると言われています。では、人間ならではの特性を活かした、人間にしか出来ない事ってなんでしょう?…現時点での私の答えは、人間対人間の関係を紡いで、その人のための1冊を、その人に寄り添って手渡すレファレンスこそ、時代が変わっても求め続けられる、人にしかできないとびきり贅沢で、血の通った情報サービスなのではないか、ということなのです。

物語の力を借りて、レファレンスのその先を想像する

読書メーターや Twitter、インスタグラムなど、SNS を『夜明けの図書館』で検索すると、様々な感想を目にすることができます。その中に「こんな風に寄り添ってくれる図書館が、世界が、身近にあればいいなあ、こんな風に仕事ができればいいなあ、借りる側、貸し出す側、色んな観点から振り返ることができる作品だった」という感想がありました。

図書館サービスの結果は、現場で働いていても容易に知ることができません。しかしこの作品では、埜納さんという稀有な作家によってレファレンスを必要とする市民の物語が創造され、そこでは図書館がその人の人生に関わることで、新たな一歩を踏み出す姿が描かれます。私たちの仕事はこんな風に活きるのか、ならば明日も頑張ろうと胸が熱くなる…この話を読むたびに泣けてしまうのは、そんな胸アツな物語になっていたからに違いありません。この作品のお手伝いを続けて本当に良かったと思っています。そして、カレントアウェアネスのインタビューに描いたように、伴走していたと思っていた物語に、実は私が伴走されていた…という顛末が、この原稿でお分かりいただけると思います。

最後に改めて、この素晴らしい物語を創作されたマンガ家の埜納タオさんと、編集者の増尾さんに心からの敬意を表します。そして、ご協力いただいた図書館員の皆様、また、お読みいただき、応援して下さった全ての読者の皆様に、深く感謝申し上げます。10 年間、本当に有難うございました。

《「レファレンスマンガ『夜明けの図書館』に伴走した 10 年のこと」
(『みんなの図書館』2022 年 4 月号掲載)に加筆訂正》

Ref.

  1. 鎌田均,エンベディッド・ライブラリアンにみる図書館環境の変化.情報の科学と技術,2018,68 巻, 1 号